三煎目 感性が呼ぶ歓声

 最近のお茶はセンサーが感じコンピュータが考えながら(?)機械が作ります。もちろん我が家でもそれは同じです。そんな時代に手もみ茶を作り続ける意義はどこにあるのでしょう?一般的には「煎茶製法の基本だから」ということに落ち着きますが、大袈裟だと言われることを覚悟の上であえて書くなら「手もみ茶を超える機械製のお茶はない」ということです。機械製茶が手もみ製法の模倣から始まっていることを見ても、これまで最上級の手もみ茶よりも魅力的だと感じる機械製のお茶に出会ったことがないことからもそう思えます。何がそんなに違うのでしょうか?それは人が機械と違い感性を持っているからでしょう。淹れ手であり飲み手でもある人は、その経験値や感性で生葉を見極め完成をイメージしながら揉み上げます。コンピュータが詳細なデータのフィードバックを行ってもそれはできません。それゆえ少しでも美味しいお茶を提供できるように、その感性を機械に吹き込んで作るのです。

 ここ数年、各地に新たな手揉み保存会が発足し熱心な活動を展開しています。その厳しい鍛錬により磨かれた鋭い感性をもって生み出される茶は必ず人々の歓声を浴びることでしょう。慣性で作られたお茶とはひと味もふた味も違うはずですから・・・